2004年、イラク情勢の混乱やロシアやベネズエラの国内事情、中国などの需要急増等さまざまな要因により、原油価格は1バレル当たり50ドルを突破した。中国やインドなどのエネルギー需要増加は確実であり、今後、すぐには枯渇しないまでも石油需要が逼迫することは、多くの識者が指摘しているところである。
こうした状況の中で、バイオマスがさっそうと登場し、躍進しているかというと、残念ながら日本ではまだ、そこまでは至っていないというのが実情である。ロシアの批准により、2005年2月に京都議定書が発効することが決まり、日本でも環境税に向けての機運が高まっているが、経済界などの抵抗は強い。
バイオマス利用推進に最も効果があると言われているバイオマス発電等の電力買取制度もただちに実現する気配はないので、当面、バイオマス利用推進の一つの柱となるのは、グリーン購入であろう。国産木材の利用推進にも通じるが、(できるだけ近隣でつくられた)バイオマスの環境負荷が低いことを明らかにし、公共機関や企業、個人などができるだけ利用する枠組みづくりを進めていくことは、バイオマス利用推進の大きな力となるだろう。
ところで、2004年で強く印象に残ったことの一つは、すでにバイオマス利用を軌道に乗せている人々のパワフルさとしたたかさだった。バイオマス産業社会ネットワーク(BIN)では、毎月、バイオマス利用についての研究会(セミナー)を開催しているが、2004年後半の研究会では、日本での数少ない木質バイオマス発電成功例と言われている岡山県銘建工業の中島浩一郎社長、自治体でのバイオディーゼル利用の先鞭をつけた京都市環境政策部の中村一夫課長、特区制度をフル活用し自然エネルギーや逐電システムを組み合わせたマイクログリッドプロジェクトを立ち上げた青森県商工政策課の高坂幹氏と、地域で柔軟にしたたかにバイオマス利用を実現しつつある方々の講演が続いた。
これらの方々に共通するのは、「行政や関係者の無理解や制度的欠陥などの障害を愚痴っていてもはじまらない。どうすればそれらを突破できるか、経済性を見つめながら抜け道を探し続ける」姿勢であるように思えた。特に、青森県の高坂氏は、「規制や制度は不動のものではなく、変わるもの、変えるもの」という哲学が徹底していた。
日本の法律や制度は、(石油利用を前提としていて)バイオマス利用を想定しておらず、行政などの理解もまだまだ浅い。バイオマス利用が日本で広がることは、すなわち、日本のシステムが、エネルギー、素材分野に限らず、時代の求めに応じて変わっていくということと、表裏一体となるだろう。
世の中は常に変化しているし、未来は自分たちで選び取るものである。
2005年も、志を同じくする人々とともに、持続可能な循環型社会実現に向けて、NPO法人バイオマス産業社会ネットワークの活動をさらに活発化させていきたいと考える。
〈バイオマス産業社会ネットワーク理事長 泊 みゆき〉